失われた小さな町 〜 ワクチンによる被害について

ナオミ・ウルフというフェミニストがいます。その方がワクチン被害についての短文を「ナオミ・ウルフ博士の率直な意見」というBlogに2022年10月27日に書きました。「In Deep」というサイトに取り上げられて知っているのですが、その短文を私なりに邦訳しました。

失われた小さな町

感情的暴力が湧き上がったあと、日々の営みをこなす、米国

OCT 27, 2022

私は絵に描いたような美しい地域に住んでいます。
画家や詩人が描くような秋の赤と黄色のパッチワーク、雄大な丘陵、有名な滝、そして静かな村の斜面に絵のように点在する小さな農家などが思い出されるハドソン渓谷に。

私たちの地域の町々は、ノーマン・ロックウェルの絵画のようです。
だって、ミラートンのメインストリートには、19世紀の白い教会の尖塔があり、厳選された素晴らしいコーヒー豆が並ぶ有名なアーヴィングファームカフェがあり、魅力的なアンティークモールがあり、人気のピザ屋があるんです。

ミラートンまで車で行くと、まるで典型的なアメリカの中心部に車で向かっているような気分になります。だって、ウディ・ガスリーの歌が表現するものすべてがあり、遠く離れた戦地にいたアメリカ兵が夢見たものすべてがあり、つまり上品で純粋なものすべてがハドソン渓谷に並ぶ町々で見つかるのですもの。

とにかく、そんな場所だと思ってください。

だけど最近は、地元の金物店、地元の花屋、郵便局で自分の仕事を気持ちよくこなすために、一生懸命気持ちの整理をし続けなければなりません。

なぜなら、これらの小さな町々で感情的な大虐殺が起こったからなんです。だけど今、私たちはあたかも、このようなことは全く起こらなかったかのように行動しなければなりません。

でも、精神的、感情的には、通りには血が流れ、キャンディーショップや高級ワインショップ、第二次世界大戦の戦没者を追悼する美しい記念碑の前や土曜日のファーマーズマーケットの外とかタパスバーの外には、目に見えない死体が積み重なっているんです。

そんなだから、私の静かな心の中で、常に唱えなければなりません。「あなたを許します」と。

ミラートン映画館、あなたを許します。
パンデミックの直前にインタビューを受け、改装された映画館が地域社会にどのような影響を与えるかについて地元紙で素敵なことを語ったオーナーは、2021年にワクチン接種を受けた人だけが入場できるという看板を掲げました。
ワクチン接種を受けていない場合でも、PCR検査を受けた場合にのみドアをくぐることができるとわかるように、細かい文字をよく見る必要がありました。

ポップコーンのカウンターで働いていた若い女性たちを許します。
「これ以上は入れません」と私がコミュニティの他の人々と一緒に座って、映画を見ることはできないと言ったのです。

若い切符係が私に外の歩道に戻らなければならないと言ったことを私は許します。
私はロビーに立つことさえできませんでした。

ただ仕事が欲しかっただけなのに、仕事を維持するために最も凶悪で傷跡を残すような差別をしなければならなかった若者たちを、私は許します。
私にとっても、そして彼らにとっても、間違いなく傷跡を残すような差別です。
私は彼らを許します。
彼らが引き起こさなければならなかった屈辱的な光景を、私は許します。

この方針に疑問を呈したとき、映画館のオーナーが防御的に私に向かって叫んだことを私は許します。

ロビーの近くにいた老夫婦も、私を近くに寄せ付けないでほしいと、私に向かって悲鳴を上げ始めた女性も、この方針に満足していたけど私は許します。
彼女の夫が沈黙し、当惑していたことも、私は許します。

ミラートンの花屋に入ったとき、店員が「ワクチン接種は済んでいますか?」と尋ねたことを私は許します。
私が欲しかったのは、インテリア雑誌で見たような、書斎の花瓶に生ける素敵なお花、おそらくオリーブの造花の枝だけだったのに。

私はこの従業員が、すべての中小企業を従わせるために何らかの奇妙で強制的な方法で町が設定した台本に従わなければならなかったことを許します。
なぜなら、この唐突で非アメリカ的で不適切な質問が、2021年という悪い年のある瞬間に、私の小さな町や、近隣の町、さらにはニューヨーク市のお店で次々と何らかの方法で一斉に投げかけられたからです。

私は、自由社会の大きな恩恵であり、つまりはアメリカの自由という偉大な賜物でもあり、夢想することができ、ある程度のプライバシーを保つことができ、自分自身の考えに没頭する権利を持つことができる自由を、私から奪ったこれらの店主たちを許します。

彼女はただ花を売っていて、私はただそれを買おうとしていただけだったという事実を考えると、この従業員が私のプライバシーを驚くほど無作法で、全く的外れな方法で侵害したことを私は許します。

周囲が不安定なときのように、この侵害で私のアドレナリンレベルが急上昇したことを私は許します。
2021年には、歯磨き粉が欲しかったり、ピザが1切れ欲しかったり、骨董品を見たくてふらりと立ち寄ったときに、どの店がいつ、その切実で脅迫的な質問を自分に突きつけるかはわかりませんでした。

尋問を期待していたわけではありませんよ。

この花屋の店員がこの驚くべき質問をしたことは許しましょう。
その質問のたびに、昔からのトラウマでPTSDと診断された私は、急に脅かされ、侵害され、屈辱を受けたように感じました。この脅かされる感覚は、間違いなく世界中のトラウマの中、生き延びた人たちが感じたもの。

ワクチン接種済みですか?

あんたは? ワクチン打った?

ワクチンやった?

あんたは裸? 無力?

お前は俺のものかい? 俺のもんだろ?

ファイザー社のマーケティング担当者が欧州議会でmRNAワクチンは感染を阻止できなかったことを認めた動画が話題になっているが、この動画は、こうした瞬間のすべて、つまり、他人のプライバシーを侵害したり、隣人や同胞を何らかの形で排除したすべての人々にとって、深い恥ずかしさと自己批判の源にすべきものだ。彼らがやったことは、まったくのナンセンスに基づいていたことは、今や誰の目にも明らかなんだから。

だけどいっぽうで、私は彼らを許します。
そうしなければなりません。
そうしないと、怒りと悲しみで疲れ果てて死んでしまうからです。

抱きしめたときに恐怖で凍り付いた隣人を私は許します。

もう一人の隣人も私は許す。自家製スープと焼きたてのパンを作っているから、ワクチン接種を受けていれば一緒に食べようと言ってくれた。
でも、ワクチン接種を受けていなかったら、いつかは一緒に外を散歩することに同意するかもと説明していた。

マウント・ワシントンの小さな山間の村で開かれたかわいらしい野外フェスティバルで、私がマスクをしていないので展示を見るために教会に入ることはできないと私に告げた、地元の保健委員会によって任命されたに違いない監視員(他に何と呼べばいいのかわからない)を私は許します。
重度の神経質でマスクを着用できないと私が説明しても、彼は動じず冷たい目をしていたことも私は許します。
安らかな6月の日に、新鮮な空気に囲まれた屋外で、彼女のテーブルで顔を覆わずにただ物色していただけなのに、どうやら彼女は私たちのことを保健委員会の代表者に密告したようで、装飾品でいっぱいのテーブルに座っていた神経質な女性を私は許します。

当時10歳だった義理の息子の前で、この件で惨めな騒ぎを起こした彼らを私は許します。
マスクもせずワクチンも打っていない人たちは、騒ぎを起こしたと永遠に非難されますが、実際に騒ぎを起こしたのは、強制し従わせようとした人たちの行動なのです。

彼らが私たちをフェスティバルから追い出したことを私は許します。
感受性の強いアメリカの子供に、卑屈さや意味不明なことへの服従という哀れで弁解の余地のない教訓を彼らが示したことを私は許します。

地元の銀行の窓口係員が、私がマスクを着用していない理由を20フィート離れたところから丁寧に丁寧に説明したところ、私の顔を覆うために紙ナプキンを投げつけてきたことを私は許します。

マンハッタン南部にあるウォーカーホテルのスタッフが、ワクチン接種を受けていない私がブルーボトルコーヒーのランチカウンターに座ったら、マネージャーに電話し、マネージャーは間違いなく警察に電話するだろうと警告してくれたことを私は許します。

愛する人たちが私たちを感謝祭の食卓から遠ざけたことを私は許します。

親友の一人が私に別れの挨拶もせずに国を去ったことを私は許します。その理由は、マスクとワクチンに対する私の姿勢に彼女が「失望」したからです。これは完全に私のリスクであり、私の体であり、私の決断であり、私の人生であったにもかかわらずです。彼女の「失望」は、彼女とは何の関係もないことで私を非難するという重荷を彼女に負わせることにつながりました。私は心が張り裂けそうになりましたが、彼女を許します。

娘が赤ちゃんを産んだのに、私を屋内に入れて子供に会わせてくれなかった友人を私は許します。

ワクチン接種を受けていない人と一緒に屋内に座らないと言った友人を私は許します。

私は、愛する人にもう一度ブースター接種を受けるよう迫り、その結果心臓障害を負うことになった家族を許します。

私は彼らを許します。私の魂がそうするようにと私に告げているからです。

しかし、私は忘れることができません。

感情的な手足が押しつぶされていないかのように、感情的な心と内臓が鋭利な物で突き刺されていないかのように、私たちはただ再び立ち上がらなければならないのでしょうか? そして、それを何度も?

ここには残虐行為も虐殺もなかったかのように?

アスリートたちが次々と亡くなり、愛する人たちが病気になって入院し、「感染」が嘘だとわかり、ワクチンの「効能」自体も嘘だとわかった今、あの人たちはみんな、後悔しているのだろうか? 自分自身、自分の行動、自分の良心、自分の不滅の魂、他人に対して自分がしたこと、アメリカと世界の歴史におけるこの恥ずべきメロドラマにおける自分の役割について、そして今や決して消し去ることのできない時代について、反省しているのだろうか?

私には聞こえない。謝罪の声も聞こえない。

ミラートン映画館には、「お客様各位。私たちは、ジム・クロウ法のもとで生活しているかのように多くのお客様を扱ったことを深くお詫び申し上げます。何の理由もなくそうしたのです。

もちろん、当時も今も、このような差別には言い訳の余地はありません。どうかお許しください。」という看板は見当たりません。

何も。こんなものを見たことがありますか? 私は見ていません。会話は一つも、看板も一つも、記事も一つも。「友よ、私は野獣でした。どうして私を許せるのですか? 私はとてもひどい振る舞いをしたのです。」そんなことを聞​​いたことがありますか? いいえ、何も。

彼らはただ挨拶をするために電話をかけてくる ― 2年半後。

2年半の残忍で無知な追放。

私は、私が列挙した人たち全員を許すことができるし、許さなければならない。しかし、他の人を許すのはもっと難しい。

惑わされた個人や、強要された中小企業の経営者に対する個人的な、内なる許しは、私自身の内なる労働であり、怒りと憤りの重荷で石にならぬよう、私と神との間で日々行っている仕事であるが、もちろん、関係における悪事者側の真の自己省察と真の悔い改めの必要性とは何の関係もない。
そして、それは、今絶対に必要な、犯罪の重大で恐ろしい清算と、悪事を犯した指導者やスポークスマンや機関に対する真の正義の施行を、予防したり回避したりするものではない。

南アフリカ、シエラレオネ、ルワンダ、ドイツが身をもって学んだように、説明責任、真実と和解の委員会、犯された犯罪に見合ったひどいレベルの正義がなければ、まったく同じ犯罪が再び犯されないという保証はまったくありません。
そして、国の片側がもう片側を組織的に虐待した場合の調査、説明責任、裁判、判決のプロセスは、苦痛で厳しく、結論に達するまでに何年もかかります。

(そして、はい、私はこの文章が発表された後に書かれたアトランティック誌のエミリー・オスター博士の無知で自己欺瞞的で危険な「恩赦」の嘆願に応えて、この説明文を追加しました。誤解のないようにお願いします。この重大さと規模の犯罪に対する「恩赦」は選択肢ではありません。アウシュビッツ解放後に集団ハグは行われませんでした。)

バスケットボールをプレーし、大学の奨学金を得る望みを抱くために、10代の少女に本人の意に反してmRNAワクチン接種を強制したチャタムの高校を許すのは難しい。関係者は責任を負わなければならない。

知り尽くし、知り尽くしていた医師、病院、小児科医たちを許すのは困難です。彼らは頭を下げ、罪のない人々の腕に針を突き刺し、悪事を犯しました。今日、自らの手、自らの共謀によってもたらされた恐ろしい副作用について、「困惑しています。全く分かりません」と言う医師たち。

2020 年以前に、西洋の医師が何も知らなかったことがあったでしょうか?

医師、病院、医療機関は責任を負わなければなりません。

危険な実験に応じることを望まなかった勇敢な救急隊員たちに、家族を養う収入がない状態に追い込んだニューヨーク市長を許すのは困難です。
市長と他の政治指導者は責任を負わなければなりません。

アイビーリーグの大学は、資金を受け取った上で、コミュニティのメンバー全員に致命的または危険な実験的な注射を強制したが、それを許すのは難しい。
その注射は、何人の若い男女の生殖能力を損なうことになるか分からないし、何人のコミュニティのメンバーの命を奪うことになるかも分からない。

彼らは金を奪い、その手には血がついています。大学生の子供を持つ親の皆さんは謝罪の手紙を受け取りましたか?
「あなたの息子/娘に実験的な注射を強制したことを深くお詫びします。この注射は彼/彼女に害を及ぼす可能性があり、あなたの娘さんは出産期に毎月出血して身体が不自由になる可能性があり、あなたの息子さんは陸上競技場で突然死する可能性もあります。そして、その注射は感染とはまったく関係がないことが判明しました。いくら謝っても謝りきれません。(でもお金があまりにも多すぎたのです。)本当に申し訳ありませんでした。二度としませんのでご安心ください。」

アメリカの親たち、その手紙は届きましたか?

お金を受け取って私たちの子供たちに「義務付け」た学部長や理事たちは、責任を負わなければなりません。

お金を受け取って閉鎖したままの教会やシナゴーグを許すことはほとんど不可能です。あるいは、お金を受け取ってから、ワクチン未接種者に対して大祭日の礼拝でドアを閉めた人たちを許すことは、今日に至るまで不可能です。(こんにちは、サザン・バークシャーのヘブラ・シナゴーグ。シャローム。安息日のシャローム。グッド・ヨム・トーブ。)

「すべての大祭日礼拝の入場にはワクチン接種の証明が必要となりますのでご了承ください。コピーをご持参ください。マスクの着用は任意ですが、着用に抵抗のない方は着用を推奨します。」

金銭を受け取り、違法な差別行為を行い、精神的な使命を放棄したラビ、司祭、牧師は責任を問われなければなりません。

これらは非常に大きな罪です。

しかしその間、やらなければならない用事があります。
図書館に本を返却したり、花屋から花を受け取ったり、子供のサッカーの試合を見に行ったり、映画館や金物屋に行ったりしなければなりません。
教会に戻らなければなりません。
シナゴーグに戻ります。

生活を再開しなければなりません。

我が国の魅力的な通りで目に見えない形で腐敗していく死体の周りを歩かなければなりません。精神的に消滅していないかのように、再び立ち上がらなければなりません。あるいは、自分が虐待者だったとしても、再び立ち上がらなければなりません。

間違ったことをしたなら、謝りますか?

不当な扱いを受けたなら、許しますか?

真のアイデンティティと建国の父たちの意図からかけ離れたこの国は、いつか癒されるのでしょうか?

私たち自身を癒すことができるのでしょうか?

内部レベルでの許し、つまり強制されたり惑わされたりした個人に対する許しは、個人として私たちを助け、癒すかもしれない。

しかし、最も厳粛な清算、すべてのケースで真実を極限まで追求すること、法の美しいルールに従って開始された調査と裁判、そして指導者、スポークスマン、そして機関に下される厳粛な正義だけが、私たちが国家として癒され、さらには安全に共に前進することを可能にするだろう。

オリジナルテキスト A Lost Small Town Outspoken with Dr Naomi Wolf 


ナオミ・ウルフ博士の言葉の力、すごいですね。

アメリカではこのようになっているのに、なぜ日本ではまだ推進しようとしているのだろう?

早く間違いを認めて、やめるべきだと思います。

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